最近熊野、伊勢で感じていた事を、毎日配信してもらっている、糸井重里氏の日記に掲載してあり、共感したのでシェアします。
〜〜・人が、観光で行ってみたいなと思っている土地。たくさん名前があがりますよね。パリ。うんうん、昔から憧れの街ですよね。ギリシャ。「ほぼ日」にもファンが増えています。ローマ。エジプト。ロシア。スイス。インド。カッパドキア、ああトルコですね。マダガスカル島。日本のなかだって京都は人気だし、金沢だとか、倉敷、各地の温泉。昨日までぼくらが行ってた日田や臼杵…訊けば地名がいくらでも出てきそうです。ひとつずつの地名を見て、お気づきかもしれませんが、どこも「昔からあるもの」を見に行きたい場所なんです。そりゃ、ときには現代的な建築の集まる場所とかも、見に行きたい人はいるとは思いますけどね。でも、同じ建築の見学にしても、ま新しいものより、「昔の最先端」なんかのほうが魅力的に感じられそう。
すごく極端な言い方をしてしまえば、観光地とは、「昔の人に稼いでもらっている土地」です。いまの人にもする仕事はあるのですが、それよりなにより、「昔」を残してきたことこそが、観光地の大資源になっているというわけです。ものすごく極端な言い方を、さらに強調するなら、「いまからできるもの」がどれだけがんばっても、「昔からあるもの」の足元にも及ばないということかな。いわゆる「レジャーランド」だとかは、いまの新しいものではあるのでしょうが、観光市場のスキマ程度にしかなってないと言えそうです。
偶然にせよ、意思をもってにせよ、新しくしなかったものが、価値を持っている。「いまからではできないもの」が時間を染み込ませて、「触れてよかったもの」になっているということ。これは、他の場面でも覚えておいたほうがよさそうです。
なんでも「現在」の価値観に合わせて、削ったり塗ったり、盛ったり壊したりしているのが、いまの社会の考え方であるように思えます。いわば、時代が「整形マニア」みたいになってる。それは、いまの一瞬は美しいように思えるけど、飽きられて消えていく価値かもしれないのにねぇ。
今日も、「ほぼ日」に来てくれてありがとうございます。旧きを尊ぶというのは頑固やこだわりとは違いそうですね。〜〜